ブラタモリで「なぜ人々は諏訪を目指すのか?」の放送が2021/08/21(土)午後7時30分~8時15分までの45分間にNHKの総合テレビで全国放送されました。
ブラタモリ諏訪のロケ地は諏訪大社や御柱の木落さかや諏訪湖や黒曜石や杖突峠などでした。
なぜ人々は諏訪を目指すのか?それは今も昔も放送の根底に流れておったキーワードは諏訪の地が断層の上に成り立った地域で断層があったおかげだと思い知らされた印象を強く受けました。
その大きな断層によって諏訪湖ができて黒曜石や片岩でて古代縄文人は諏訪を目指したし現代人は御柱と諏訪湖の御神渡りで諏訪を目指している内容でした。
事前に放送概要は知っていたので、どんな内容で放映されるのか予想をしてブログでも紹介しましたが私の記事の内容とはかなりかけ離れてしいました。
それが、こちらの記事です。
ブラタモリで諏訪大社の御柱や御神渡りなど諏訪地域が放送!
諏訪人としてブラタモリ の 「なぜ人々は諏訪を目指すのか?」 をメモを取りながらしっかり見させて頂きました。
ブラタモリ諏訪のロケ地を紹介しながら放送の筋書きを改めて見てみましょう。
- 諏訪大社で御柱の謎に迫る
- 神秘現象【御神渡り」の諏訪湖はどう出来た?
- 縄文人が求めた星糞(ほしくそ)とは?
- 日本最古?縄文の採掘跡
- 片岩が縄文人の暮らしにもたらした変化とは!
- 糸魚川―静岡構造線と中央構造線が交差する諏訪の魅力
- 諏訪湖から富士山が見えるのはなぜ?
ということで、この番組を改めて回想して感想も含めてまとめてみました。
ブラタモリ 諏訪大社で御柱の謎に迫る
ブラタモリで諏訪大社をお参りしたのが前宮でした、諏訪大社上社には本宮と前宮があって今回ブラタモリで参拝した神社は前宮でした。
前宮は本宮からみて南の方向で茅野市安国寺の地積となり本宮には多くの観光客がお参りしますが前宮はどちらかと云いますと少し寂しい感じがしています。
上社前宮本殿について
前宮とは上社本宮に対して、それ以前にあった宮の意味とも考えられている。前宮の祭神は、建御名方命(たけみなかたのみこと)と、その妃 八坂刀売命(やさかとめのみこと)と古くから信じられ、ここ前宮の奥に鎮まるところが墳墓と伝えられる。古来より立ち入ることが固く禁じられ侵すときは神罰があるといわれた。四方には千数百年の歴史を有する御柱が七年目毎に建てられ、現在の拝殿は昭和七年に伊勢神宮から下賜された材で造営されたものである。
昭和49年5月 安国寺史友会
年間観光客が1,200万人訪れると話されており、なぜ人々は諏訪を目指すのか?の秘密が諏訪大社の境内あって本殿見えてくるとご案内の先生が右手分かりますかといって御柱の場所に行きました。
人々が諏訪を目指した秘密が御柱なら、こんかいのロケ地が諏訪大社の本宮でなく何故?前宮であったのか疑問が残っています。
前宮には古代イスラエルとの関わりで?御頭祭りとか御柱とのつながりの都市伝説もあります。興味のある方はこちらをご覧ください。>>>
この写真がブラタモリで見た御柱で本殿の右側から前宮一之御柱、神社の正面からみて右回りに一之御柱、そして二之御柱、三之御柱、四之御柱と社殿を囲んでいます。
社殿もそのうち建て替えしますが、毎回できないので御柱で立て替えを地元の氏子が自主的にやっているお祭りとなっています。
多くの人がこの御柱祭を見るために諏訪にやってくるといっていました。タモリさんの地元出身のオリエンタルラジオの藤森さんからも諏訪の御柱のことを、とうとうと聞かされていたと語っていましたね。
タモリさんとオリエントラジオの藤森さんとはどのような交流があったかは知りませんが、こういった場面でその出来事を思い出して語ってくれたことはありがたかったと感じました。
このあと本殿にお参りしてから上社の木落とし坂へ向かいましたねが、個人的にはなんと言っても最初にお参りをしてから神様にご挨拶をしてから御柱の話のをする方がいいかな~と思っていました。
そこでの最初の疑問は、この木落とし坂はどうしてここにあるんでしょう? えっそんなの分からないよ~そこに坂があったらでしょう!とトンチンかなこと考えいましたね。
その答えは、
諏訪の地積が断層がいっぱいあって、この木落とし坂は断層崖になっているとのことでした。それは岡-糸魚川-静岡構造線の活断層帯の上にあったということでした。
googleマップ上に赤線で簡単に糸魚川市と静岡市を結ぶ断層帯として描いたので概ねこんな感じくらいにとらえてください。
この木落とし坂は御柱祭の山出しでは一番の見所となっています。断層によってできた坂をうまく利用した訳ですねぇ。
ブラタモリ 諏訪の御神渡りの諏訪湖はどう出来た?
続いてタモリさんが向かったのは諏訪を見渡せる展望台の杖突峠に行きました、茅野市から伊那市(高遠町)へ向かう峠が杖突峠で、八ヶ岳、茅野市から諏訪湖まで諏訪盆地が一面に広がって見えます。
ブラタモリ諏訪展望台(杖突峠)
峠の諏訪展望台からは左手に諏訪湖が見えますが下の写真の赤丸が諏訪湖です。
諏訪湖独特の自然現象が人々をひきつける御神渡りは、冬に諏訪湖の氷が全面結氷してその氷が道のように盛り上がる現象です。
諏訪大社の上社の男の神様が下社の女の神様に通った道だといわれています。
最近は温暖化で諏訪湖の全面結氷はするんですが零下10度以上が3日位つづかないと御神渡りができないので神様もあえなくて、かわいそうだねと笑ってしました~。
そこで御神渡りが出現すると大勢の人が諏訪を目指してやってきます、写真は近年2018/1/31御神渡りが出現した時の写真です。
一旦氷が溶けましたが寒さが連続したため御神渡りができましたが、その後は全面結氷はするものの御神渡りできていません。
2018年の御神渡りの拝観式は一部始終見学しましたので、こちらの記事をご覧ください。
そして、そもそも何故ここに諏訪湖ができたのでしょうか?
その答えは
諏訪盆地は上空から見ると平行四辺形にみれるようです、この写真杖突峠からの写真です。赤線で囲んでみました。
この平行四辺形に広がる大きい湖だったんですね。この諏訪湖のできたのは、この平行四辺形の周りを通って走るいる断層のズレからでした。
120万年前、諏訪湖の上で糸魚川-静岡構造線(通称、糸静線)が折れ曲がった状態で通っていたと考えられていたようです。
その断層が横にずれて平行四辺形の穴があき、その穴に水が溜まって諏訪湖が誕生したお話でした。
図形でその様子を作ってみました。左側の1本の赤線は諏訪湖の上で折れ曲がった断層で、それがプレートの歪みで力が働き断層がずれたイメージ図が右側の平行四辺形です。
繰り返しますが、この断層のズレで穴が空いて、そこに水が溜まって諏訪湖の誕生となったんです。
その後、江戸時代に行われた排水工事などでの影響で現在の諏訪湖の大きさになったから、昔に比べて諏訪湖はだいぶ小さくなったしまいましたよ~。
諏訪湖が諏訪大社まであったことは、子供心に聞いていましたし、その証拠に諏訪市内には地名で中州とか福島とか白狐島とか武津とか赤沼、飯島といった湖にちなんだ地名が今でも使われていす。
そこの地名の場所は諏訪湖の中の名称として呼ばれてい訳です。桜の名所の高島公園内にある高島城も浮城といわれておりお城の周りは諏訪湖だったです。
ブラタモリ諏訪 縄文人が求めた星糞(ほしくそ)とは?
縄文時代の中期(約5,000~4,000年前)は諏訪は全国でも最も人口密度が高い地域だったようですね。
諏訪湖周辺には数多くの遺跡が点在して糸魚川のヒスイとか関東産のコハクなどいろんな石やお宝が発見されています。
そのことは多くの縄文人が諏訪を目指してやってきていました、それは何故でしょうか?
それは星糞(ほしくそ)を目指して多くの縄文人が諏訪の地にやってきたとのことです。
いや~星糞?全く知らない言葉でした。
次は、この星糞を探しに茅野市から諏訪市を通過して下諏訪町の山中までの山から山への移動でした。
場所的には霧ヶ峰高原の北側に七島八島霧ヶ峰湿原植物群落があって、そこから和田峠方面に行った左側の山中となっています。
ここで見つけた星の糞とはキラキラ光る「黒曜石」の事でした、黒曜石なら私も知っていて和田峠で拾った記憶があります。
黒曜石はマグマが急速に冷やされてできた物であり、狩りで使うヤジリや肉を切るナイフとして使っていた物ですね。
黒曜石のことを別名、星のかけらとかお天道様の鼻くそなんで呼ばれていました。この黒曜石こそ縄文人を諏訪にひきつけて宝だったと語っていました。
諏訪を中心に半径250kmに数多く運ばれていましたが驚くことに北海道まで行っていました。ご案内の先生のお話だと諏訪の黒曜石は全国の縄文人が憧れるものだったとの事でした。
この時代、電話もテレビもなくて、どうして諏訪の黒曜石が北海道まで伝わったのか不思議な思いをしています。それは口コミによるものだが、よく知れ渡ったな~と感心しています。
黒曜石が採れる諏訪意外いくつもあるが、なぜ諏訪の黒曜石を?それは太陽にかざしてみると非常に透明度が高くて美しい物だった。
ブラタモリ諏訪 日本最古?縄文の採掘跡
さらに、また山の奥に向かって縄文人が残した痕跡をみに移動しました。車を止めるゲートがあったのでこの地には関係者しか踏み込めないのではと思っています。
深い穴があってここは縄文人が黒曜石の岩脈を掘った採掘抗と案内していました、日本でここだけだそうです。
それこそ縄文時代の「星糞」の採掘跡がある国史跡・星ケ塔遺跡だった。この遺跡の存在は放送をみて諏訪人でありながら恥ずかしながら初めて知りました(^_^;)
日本で始めて発見された縄文人の黒曜石採掘跡だったんですね、この発見で縄文人が大規模な採掘をしていたことが分かりました。
このような採掘後がこの山中で200近くあって一つの穴から1トン近くの黒曜石が出ていたから、多く縄文人がやってきたことが分かります。
黒曜石採掘跡「星ヶ塔遺跡」が下諏訪で初のツアーで見学会が開催されていますが、ブラタモリ諏訪でこの見学会はキャンセル待ちとなっています。問い合わせは下諏訪町振興局(電話0266-27-1800)へ 追記2021/08/25
ブラタモリ諏訪 片岩が縄文人の暮らしにもたらした変化とは!
ブラタモリはさらに諏訪を目指した理由は黒曜石だけでない別な石を探しに別な山中の河原へ向かいました。
その地はたぶん岡谷市出早神社がある脇を横河川が流れていますが、その上流だと思っています。
そこには縄文人の生活に役立つ石がたくさんある場所でタモリさんは石を探し出していました。その石は片岩(へんがん)でした。
片岩は簡単に薄く割れて鍬として畑を耕したり雑草をとったりした道具として使われていたようでしたが、植物も栽培していたことが分かっています。
それでは、なで諏訪では片岩がたくさんとれるのでしょうか?
中央構造線沿いには片岩が多数出ていて、岡谷市の糸静線の交わる場所に行っていました、ここでは片岩がたくさんとれる魅力的な場所だったと分かりました。
この中央構造線は諏訪大社前宮を通って豊川稲荷を通って伊勢神宮の下を通ってさらに高野山も通って石鎚山まで行っていて聖地が続くとタモリさんが語っていました。
ブラタモリ諏訪の魅力は糸静線と中央構造線が交差ため?
やっとブラタモリは山の中からやっと下諏訪町の諏訪湖畔に来ました。
縄文海進により関東地方の縄文人は住む場所が海で無くなってが富士山からのびる谷があったのが縄文人が目指しやすかった理由のようでした、内陸を目指して谷沿いに進み移り住んだ場所が諏訪湖であったそうです。
上の写真から中央に富士山が見えて、手前の湖が諏訪湖です、富士山からのびる谷のイメージが分かっていただければありがたいです。
縄文海進とは:約7000年前、地球の気温の上昇により海水が陸地の奥深く広がってこの現象で海沿いに住んでいた関東の縄文人は内陸に移り住んだ。
へぇ縄文海進も初めて知ったし、いい勉強になったと感じています。
ここには黒曜石もとれて片岩も出土して生活を豊かにした土地であり、これらは糸魚川-静岡構造線と中央構造線の大断層のおかげであったんですね。
「ブラタモリ・諏訪編」諏訪湖は中央構造線と糸魚川静岡構造線が交わる場所。諏訪大社はいずれも断層に沿って並んでいる。透明度の高い星糞こと黒曜石と、中央構造線に沿って産出する片岩の存在によって、縄文時代は人気の居住地となった。シームレス地質図、スーパー地形。#ブラタモリ pic.twitter.com/qbIm7hkm9i
— DAN杉本 (@DANkashmir3d) August 21, 2021
ブラタモリ 諏訪湖から富士山が見えるのはなぜ?
どうして諏訪湖から富士山が見えるのか?
諏訪湖から富士山までほぼ一直線状に断層が沈んで谷が通って富士山が見えるんだってぇ、これも断層のおかげだね、知らなかった。
当たり前に富士山が見えていたので富士山が見えるのは何故の問いに、なぜそんな質問をするのかな~て思っていました。
もともと富士山が見えていたからそんな質問の視点すら考えたことが無かったからでした。
写真の富士山の見える撮影場所は下諏訪町のみずべ公園の湖畔が撮影絶景ポイントになっています。
ブラタモリ諏訪 再放送
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ブラタモリ オープニング
ブラタモリが始まって少し経ったところで流れるオープニングの曲が井上陽水さんの 女神です。
ハローハローお元気~今夜何してるの?♪
コーヒーブレイクでくつろいで聞いてみませんか、画面をクリックすればOKですね!
ブラタモリ エンディング
ブラタモリED曲
最後に流れる歌が井上陽水さんの 『瞬き』です。
未来のあなたに幸せを送る♪
ブラタモリ諏訪のまとめ
- 諏訪人として初めての初めての放送であったので興味ぶかく見ることができました。
- なぜ人々は諏訪を目指すのか?このキーワードは昔も今も大断層のおかげだと感じました。
- その断層は糸魚川-静岡構造線と中央構造線でした。
- その断層で諏訪湖ができて黒曜石や片岩とれて縄文時代から栄えた土地でした。
- いまでは御柱や御神渡りや諏訪湖や諏訪大社で人々は諏訪を目指していました。
コメント
昔の日本で最高峰の山頂は富士ではなく八ヶ岳の一角