諏訪神社に訪れた経験はありますか?
多くの方が少なくとも名前を聞いたことがあると思いますし、中には実際に訪れたことがある方もいるでしょう。
実は、諏訪神社は日本全国に約一万社もあるとされています。
この記事では、諏訪神社に祀られている神様がどのような存在なのか、また、なぜこれほど多くの場所にその信仰が広まったのかを探ります。
さらに、興味深いとされる特別な神事についても紹介します。
諏訪神社に祀られている神様は?
諏訪神社には「建御名方神(たけみなかたのかみ)」とその妻「八坂刀売神(やさかとめのかみ)」が主に祀られています。
建御名方神は、古事記において狩猟と農業を司る神として記されており、出雲大社の主神「大国主命(おおくにぬしのみこと)」の次男です。
豊かな大地を治めていた大国主命に対し、太陽神である天照大御神が息子への地上の譲渡を求めた際、建御名方神はこれに抵抗しました。
その後、天照大御神の命により武神「武御雷神(タケミカズチ)」との力比べが行われ、この出来事が相撲の起源とも言われています。
しかし、武御雷神に敗れた建御名方神は長野県の諏訪湖へと逃れました。
武御雷神の追撃から逃れるため、建御名方神は諏訪地に永久に留まると誓い、そこに4本の柱を立てました。
これが諏訪大社の始まりであり、今日でも行われる御柱祭の根幹です。
一方、八坂刀売神は古事記や日本書紀に記載がない地元特有の神様です。
建御名方神の退去が諏訪神社創建の契機となったのは、非常に興味深い話ですね。
諏訪神社が全国に広がる理由
諏訪神社は日本全国に約一万社も存在すると言われています。
このように全国に広がった背景には、諏訪大社を中心とした諏訪信仰が日本中に浸透したことがあります。
この記事では、諏訪信仰がどのようにして全国に広まったのかを探ります。
諏訪信仰の全国展開の背景
諏訪信仰の始まりは、諏訪地方に住む諏訪氏が氏神として諏訪大社を篤く信じていたことに由来します。
古代日本では、風や水など自然現象を操る龍神や霊蛇の信仰が根強く、諏訪大明神も巨大な蛇や神龍として想像されていました。
諏訪大明神は、風や水に関わる神徳があるため「農業の神」としても尊崇され、諏訪信仰は諏訪神人と呼ばれる巡礼者たちによって信濃(現在の長野県)を中心に広まりました。
また、諏訪信仰は元々龍神や霊蛇としての側面がありつつ、「武神」や「軍神」としての認識も強まり、多くの武人によって全国に広められました。
特に、諏訪大社での戦勝祈願が成功し、坂上田村麻呂や武田信玄、徳川家康など多くの権力者に信仰されました。
坂上田村麻呂が東夷征伐で諏訪大社に祈願して成功したという伝説が、諏訪神社の建設ブームを後押ししました。
これを機に、関東や東北の豪族が諏訪神社を勧請し、鎌倉幕府の御家人が領地に諏訪神社を建立するなどして信仰が広がりました。
武田信玄は、諏訪信仰を非常に重視し、「諏訪南宮法性上下明神」という名の旗を掲げて戦いに臨んだと言われています。
このように戦国時代の名将たちが諏訪信仰を熱心に信じることで、諏訪神社は全国に広まっていったのです。
諏訪大社の特別な神事
諏訪大社では「御頭祭(おんとうさい)」という珍しい神事が行われています。
この神事では、五穀豊穣や狩猟の成功を祈り、感謝の意を込めて鹿の頭を神様に捧げます。
次は、このユニークな神事について詳しく解説します。
御頭祭の詳細
毎年4月15日、諏訪大社上社で行われる御頭祭についてご紹介します。
この祭事では、鹿の頭の剥製を神様に奉納します。過去には実際の鹿の頭を捧げる習慣がありました。
諏訪大社の神様は五穀豊穣と生活の安定を司り、狩猟によって得られた食料への感謝の意を表すために鹿の頭を捧げていました。
鹿の頭が選ばれる理由は、ミシャグジ信仰の影響によるものです。この信仰は関東地方に広がり、神の怒りを鎮めるために若い男性を生贄にする風習があったと言われています。
かつては一度に75頭の鹿の頭が奉納されることもありましたが、今は5頭の剥製で行われています。
諏訪大社に伝わるいくつかの不思議の中で、「奉納される鹿の中に必ず耳が大きく裂けた鹿が一頭いる」という話があります。これもミシャグジ信仰の名残だと考えられます。
まとめ
諏訪神社の主神、建御名方神とその妻八坂刀売神に関連する信仰が広がり、全国に諏訪神社が建立されました。
建御名方神は元々農業の神として崇拝されていましたが、後に武神としても信仰されるようになり、多くの武将に崇拝されました。
御頭祭は、ミシャグジ宗教から派生した神事であり、少々不気味ながらも非常に興味深い行事です。
興味を持った方は、ぜひ御頭祭に参加して、この伝統的な祭事を体験してみるのも一つの方法です。